〜言の葉の部屋〜

偽りの教皇 17



「まだ駄目か・・・」
 力で作った水晶に閉じ込めた腕の状態を確認するのがオレの日課になっていた。
 あの日。
 オレ自身も心が傷付く事があるのだと3人に改めて認識させられた後に、アテナとポセイドンの言により数日後にはオレは海界へと赴く事になった。
 表向きは海界との交流を深める為に。
 真実はオレの心を休める為に。
 親しいモノからの憎悪よりは、敵であったモノ達からの憎悪の方が楽だろうからと。
 確かに此処に来てからと言うモノ、気分的にはかなり楽になっていた。
 周りは元から此方も敵と認識していたモノばかり。
 恨まれようが敵意を持たれようが気になる事は無い。
 例えそれに引き摺られて敵意や憎悪をオレが懐いても問題は無い。
 殺意さえ、懐かれなければ。
 それにどうせ短期の事だろう、とアテナの命でもある事から受け入れた訳だが・・・其処で問題が発生した。
 期間は・・・オレの右腕が治るまで。
 周囲に罪悪感を与えていると解っているなら、治してから戻る様にとの命だった。
 デスマスク達もそれに賛同した訳だが、此処に来て既に1週間が経過していると言うのに腕が治る様子は全く見られない。
 隻腕だからと不自由を感じる事はないが・・・治らない原因がオレにも解らなかった。
 サガやアイオロスの様に肉体全てを包み込み治した事はあれども、今回の様に腕だけを直すような事は今までに試した事は無かったが、原理からすれば治らない筈は無いんだが・・・このままでは何時になれば帰る事が出来るのか。
「大海蛇」
「あぁ、少し待ってくれ」
 それ以上に厄介だったのは海底神殿に来た当日に海皇から渡された代物だった。
 元々、カノンが戻るまではオレがその代行を務める事は約束していた。
 だが・・・まさか、スケイルまで渡されるとはな。
 流石に教皇の姿でうろつくようなつもりはなかったが・・・一般のマリーナが纏っている様なスケイルでは無く、ジェネラル同様の名を持ったスケイルを渡されると誰が予想できる。
 ポセイドンから大海蛇【シーサーペント】のスケイルを渡され、此処でシードラゴンの代行をする間は身に付けているようにと言い渡されてしまった。
 サンクチュアリから来た同胞殺しがその様なスケイルをポセイドンから直々に渡されて他のヤツ等が面白い筈が無い。
 その上、このシーサーペントは纏えるモノが居らずに神代の頃から海底神殿の奥深くで眠っていたと言う曰く付きのモノでもあった。
 大海蛇、などとも呼ばれているが実情は【正体不明の海洋生物】。
 スケイルもクロス同様に纏う為には相応の資格が必要らしいが・・・まぁ正体不明と言う点ではオレもそうだな、などと妙な納得をしてしまったのが悪かったのか、すんなりとシーサーペントはオレを対として認めてしまった。
 それを目にした時のポセイドンの嬉しそうな表情からも、未だにオレを自軍に引き入れるつもりでいる事が解る。
 勿論、海界に属する事などアイツ等が居る限りは有り得ない事だが。
 そしてオレは今、カノンが使っていた執務室で仕事をしている。
 マリーナからの報告書なぞはジェネラルのチェックで十分だろうに、此処を掌握しようとしていたカノンは全ての書類を自分に回すようにと徹底していたそうだ。
 復讐の為とはいえ、随分と真面目なヤツだったのだと実感すると共にそんなヤツの代行をすると言ってしまった自分を恨みたくなる。
 オレですらゴールドセイント以外からの報告書はゴールドセイント達に任せていると言うのにな。
「大海蛇、昨夜の海上事故に関してだが」
 サンクチュアリのセイント達は名で呼び合う事が多かったが、海界のジェネラル達は仕事中はお互いの名では無くスケイルの名で呼んでいる様で、オレもこのスケイルを纏っている時はシーサーペントと呼ばれている。
 近年は教皇と呼ばれることが多かった為に中々反応する事が出来ずにいたが、1週間もすれば慣れもする。
「人の手だけで汚染を食い止めるのは不可能だな。シーホース、悪いがクラーケンがサンクチュアリから戻り次第、2人で事故海域へと向かって欲しい。現状を確認し、人手が必要な場合はお前達の判断でサンクチュアリへ協力要請を出してくれ」
 ある程度の範囲ならばアイザック1人でも漏れた燃料を凍結することは可能だろうが、広範囲となれば弟弟子のヒョウガや師であるカミュが加わった方が対処も早く済む。
 その辺りの判断をこいつ等が間違えることは無いだろう。
「了解した」
「それと異常行動をしている鯨の一団に関してはセイレーンを向かわせてくれ。アイツの音で正しい海域まで導いて様子を見たい」
「セイレーンは大西洋の海底火山の調査に向かわせる予定だったのでは?」
「緊急性を考えると鯨が優先だろう。希少種ならば人目につかない海域で保護しなければならないんだが調査してきたマリーナの報告が曖昧でな。だが、火山のある一帯には希少生物はいないと報告を受けている」
 種別の判断くらい海皇に仕える海闘士ならばして来い、と此処がサンクチュアリならば怒鳴りつけているところだ。
 十中八九はオレに対する嫌がらせでわざと曖昧な報告を上げてきているのだろうがな。
「・・・希少種は居ないが人の暮らしている島はある」
「何か勘違いしているようだが・・・オレは人間の為に動いた事はない」
 オレの言葉に目の前にいるバイアンだけでなく、シードラゴンの中にいるカノンの魂が揺れ動いた。
 それはそうだろう。
 地上の愛と平和の為にアテナと共に戦うのがセイントであり、教皇はそのセイントを纏める立場にあると言うのに人間なんぞ知った事かと言っているんだからな。
「・・・貴方はシードラゴンの兄を殺してまでその地位に就いたのだろう。ならば」
「地位が欲しくて殺したわけじゃないからな」
 ここにいれば   カノンを思うモノ達ならば誰かしらが聞いてくるだろうとは思っていた。
 この部屋に来る度にジェネラル達からカノンへと向けられる想い。
 若干一名は嫌悪感を含んではいるが、それでも全く心配していない訳では無かった。
 そして己の目で見た海底神殿の様子やこの部屋に残された書類の山からもカノンが間違った采配をしていなかった事が解る。
「お前達には聞こえなかったかも知れないが、殺したのは殺気を向けてきたからだ。尤も・・・オレに殺気を向けてきたのはもう1人のサガだけどな」
「もう1人の?」
「アイツは人格が別れてしまっていたんだよ。それまでのサガと、悪意に満ちた   サンクチュアリの闇に染まったサガとにな。オレが会ったのは後者の方で・・・殺気を向けてくれば死ぬ事になると教えてやったのに向けてきたんだ。自業自得だろう?」
「自業自得・・・殺した事を何とも思わないのか」
「思わないな。相手はオレを殺そうとした、だから殺した。何が悪い?」
 理解の範疇を超えたモノを目にした表情だな。
 アイツ等が例外なだけで、ジェネラルとはいえ人間に受け入れられるモノじゃないか。
「人が人を殺すと言う事がどの様な事かは解っている。だからオレは、オレが教皇としている間にセイント達に人を殺させた事は一度もない。が、オレ自身は人ではないからな。自分が護りたいモノ達が無事なら、あとはどうでも良いんだ。ポセイドンとてそうだろう?地上に人がこのまま蔓延れば海も大地も空も穢されるだけだと判断したから人を滅ぼそうとした。お前達もそれに賛同したが・・・お前達とオレやポセイドンとの違いは人を殺した事に対して罪悪を抱くか否かだ。人は人を殺せば殺すほどに心を壊してゆく。その罪の重さに耐えきれなくなってな」
 そして弟が   カノンがスニオン岬から姿を消した事を死んだのだと思ったサガの心は壊れ、2つに分かれた。
 考えてみればアイツもその頃はまだ15の子供。
 周りのモノ達から其処に入ることが死につながると聞かされていても、大げさに話しているのだろうと甘く考えていた面もあったんじゃないかとオレは思っている   それも相手が自分と同等の小宇宙を持ち、ゴールドセイントとしての資格まで持っていたとなれば尚更だろう。
「尤も、カノンとてオレと同じだろう?自分を殺そうとした、だから兄を殺そうと思った。違うか?」
『違う!私は!私は・・・・・・』
 バイアンに聞かせると共にカノンへも問いかけてみれば、やっと反応を返してきた。
 今のカノンにはこのくらいで十分か。
 バイアンも答えに詰まっているしな。
「さ、こんな話はもう良いだろう。調査海域へと向かってくれるか?」
「・・・承知した」
「あぁ、それと今度からマリーナ達からの報告書はまずお前達が目を通してくれ。それで不明点がある場合は担当したマリーナに確認してからオレのところに持ってきて欲しい。良いな?」
 マリーナ達に自分たちが手を抜けば困るのはオレではなく、現地に向かうジェネラル達なのだと思い知ってもらう必要がある。
 不承不承でありながらもバイアンが退室すると、執務室の中にはオレとカノンの魂だけとなった。
 人とは不便なモノだと思わずにはいられない時がある。
 バイアンや他のジェネラル達がこの部屋に来てまず視線を向けるのはシードラゴンのスケイル。
 その中にいるカノンを心配する心が、カノンには伝わらない。
 もし伝わったならば、これ程までに頑なに肉体に戻ることを拒絶したりはしないだろう。
「・・・オレは変えるぞ」
 オレの呟きにカノンからの返事はない。
「アンタが築き上げてきた此処の遣り方はどうにもオレには合わん。アンタが戻らず、オレが代行を続けるならば、オレはオレの遣り易いように此処のシステムを変えていく。周りの反発なぞ知ったモノか」
『っ・・・』
「アンタがそのままならな、其の内此処の連中もオレの遣り方に慣れて違和感を覚えることもなくなるかもな。そうなれば・・・アンタの居場所は其処だけだ。サンクチュアリにも此処にも無くなるかも知れないな」
 カノンの感情が揺れる。
 強くなるオレへの憎しみ。
 それもそうだろう。
 コイツがこの13年で築いたモノを根っ子から変えてしまおうと言うんだ。
 此処で生きた証とも言えるモノを。
「悔しければさっさと戻ればいい。アイツ等を騙していた事が気掛かりならば、そんな心配は不要だ。ソレント以外は嫌悪感もなしにアンタを受け入れている」
『・・・何故、殺した相手を蘇らせようとする』
 尤もな疑問だな。
 まぁ・・・ここでの仕事が面倒だと言うのもあるが。
「似ているんだよ」
『・・・似ている?』
「バイアン、アイザック、クリシュナ、イオにカーサ。ジェネラル達がアンタに向ける感情が、アイツ等にな。復讐しか頭に無かったアンタには解らなかっただろうがな」

 例え、偽りの存在でも構わないから其処に居て欲しいのだとオレを望んでくれたあの3人に。




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